あと何回桜を見られるだろう?

実はしばらくの間なかなかパソコンに向う気にならず、
お仕事からも少し遠ざかっておりました。
その理由は、
前回,父の死が近づいているという内容のものを書かせていただきましたが、
その記事を書いた後に、父がこの世を去ったからです。
前回のバックナンバー⇒こちら
母との面会が終わったあとに、静かに眠るように亡くなったそうです。
父の死を覚悟はしていたので、「あ~、その時が来たんだな」という想いでした。
生きているわたしが出来ることは、父をしっかりと見送ってあげること。
そんな想いで数日間を過ごしました。
見送りという辛い期間でもありましたが、
父の死に直面してたくさんの気づきがありました。
これから少しずつそちらの気づきも書きたいと思っております。
そして、今日はその中のひとつとして、
わたしの古くからの友人の言葉をシェアさせていただきます。
父の訃報を連絡した際、お忙しい時期なのでご無理をなさらないでくださいとお伝えしました。
すると、
「私たちは、あなたと会わせてくれたお父様にお礼を言いたいので葬儀に伺わせてください。」
という返事がきました。
友人たちは、わたしとの付き合いは長いのですが、父との面識はそんなにありません。もしかしたら、直接会ったこともなく、父のことをわたしの話でしか知らなかったかもしれません。
それでも、わたしにこんなに素敵な言葉をくれたのです。
一生の付き合いができる大切な友達に会えたことは、
父がわたしをこの世に存在させてくれたからなのだと改めて気づかされました。
普段、生活をしていると、
今、生きていることが当たり前すぎて、本当に大切なことや、根っこにあることに鈍感になってしまいます。
わたしも、うまく行かないことがあると、自分ひとりで頑張って生きているような気持になり、落ち込んでしまったり、まわりの環境のせいにしてしまったこともあります。
父に対しては、生きているときは、色々なわだかまりがありました。
自分の生きづらさを親のせいと考えていた時期もあります。
でも、
実は、
自分という存在は、多くの人に支えられて生きていること。
自分の命は、両親から与えられたこと。
その命の使い方は、私次第だということ。
に気づかれます。
もし、このメルマガを読んでくださっている方の中に、
親の影響で生きづらさを抱えていると思っている方がいらしたら、このことに気づいてほしいと思います。
そして、気がついたら、その生きづらさの原因を今度は自分の問題としてとらえてみてください。
親のせいではなく、
自分の責任で生きることの覚悟が出来たときに、
そこから抜け出す方法が見つかります。
わたしは、ある程度学びを重ねてきた時期に父の死に向き合うことなりました。
それでも、父の死で、子どもの頃から積み重ねてきた生きづらさをすべてゼロにすることはできません。
だって、過去に傷ついたことは事実なのですから・・・
でも、今のわたしは、過去のわたしではありません。
「今のわたしがどう感じて、どう在りたいのか」
ということを大切にしたいし、
人のせいにするのではなく、
自分の責任で今を生きたい
と思っています。
わたしの大好きなひすいこたろうさんの著書
「あした死ぬかもよ?」
の中にこんな問いかけがあります。
≪あと何回桜を見られるだろう?≫
ひとは必ずいつか死にます。
でも、いつかが先のことなんて保証はありません。
だからこそ、今のわたしを大切に生きよう。
目の前にいる大切な人との時間を大切にしよう。
それが、自分を主役とした人生の生き方に繋がっていきます^^
先日、自然の中に癒されに行ってきました。
(自然は、わたしのパワーチャージの根源)
そして、あちらこちらに小さな春を見つけました。
春はもうすぐ。
わたしもすこしずつ始動していきます。
この父の死がきっかけとなり、また新しいステージが待っているような気がしています。
本日も、最後までお読みいただきありがとうございました。
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